はてなダイアリーの終わりに寄せて
結構前に読んではいたので今更だけど。
- 2019年春「はてなダイアリー」終了のお知らせと「はてなブログ」への移行のお願い
- http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20180830/blog_unify
わかっていた事なので、長い間ありがとうございました、としか書く事が無い。
俺もはてなダイアリーを初めて書いたのが2006年の05月のようだ。確か会社に言われて書き始めたんだったな。
ここもオフィシャルのような形態になったり、疎遠になったり、毒吐き場にさせてもらったり、形態を変えつつその時々の俺が色々とお世話になった。
気が付けばページビューも100万超えたのか。10年以上やってようやくの100万というのもなんとも味がある。
多分、俺が一番長い時間お世話になったWebサービスだ。
はてなブログに移行するかどうかは特に決めていないので、もう少し、終わるぎりぎりまでお世話になるかもしれないので少し早いけれど。
長い間お疲れ様、はてなダイアリー。お世話になりました。
Akashic Engineの紹介記事を書いた
書きましたよ。ドワンゴのgithub.ioの方に公開されている。
https://dwango.github.io/articles/akashic/
もっとも、実は昔一度書いているから二度目なのだけど。
こっちが昔の記事: http://d.hatena.ne.jp/tsugehara/20170111/1484145977
Akashicについてはもう少し書きたいことがあるのだけれど、半年くらいかけて少しずつ書いていくことになると思う。
2017年1月に、説明をせずに、OSS公開されたとだけ書いたAkashic Engineだが、ようやくそのリプレー特性や、そのリプレー特性を発展させたいつでも、どこでもという特性を持っていることを公開することができた。
実験と銘打たれてはいるが、サービス展開もされた。
予定よりも4年くらい遅くなってしまったけれど、ここまで来れてよかったな、と、今は開発を少し離れているので、一人暮らしを始めた息子を眺める親のような心境で思う。
やりたいことをすべてやりきるのはなかなか難しいのだけれど、Akashicは俺がやってあげれるところまでは来たと思う。
あとは、独り立ちした息子だと捉えて、自分で歩いていくのを見守りたい。
さて、Akashic以外はあと三つかな。まだ手のかかる下の子やら従妹やらがいるので、今はそっちをやってる。
もうじき日本帰ってきてから5年になるのだけれど、その辺いろいろやりきれたら、ああ、遅かったけどよく考えたら結構頑張れたのかもな。と5年間振り返ることができるかもしれない。
そうなれるよう、もうひと頑張りしていきたい。
考える
何かを考えるという行為が本当は嫌いで、考えはじめると頭がさえて眠れなくなるというのが本当は嫌いで、考えないで済むゲームを遊んでいる方が好きで、排除しているが実はテレビも考えなくて済むから好きだ。
考えるのが嫌だから酒を飲んで頭を殺すし、考えるのが嫌だから眠るのが好きだ。
しかし結局、人生は考える事を避けては通れない。
生き続ける以上人は考え続ける。
比率の大小はあれ、人は生きると同時に思考するし、思考をしなくなる日が来たらそれは死んだという事になるのだと思う。
考える、という行為が苦手なため、俺はよく設定と答えの固定化を行う。
設定とは、例えば「この会社を3年やめない」といったものだ。ある程度、自分に納得感がなければ有効な設定にならないので、設定を施すまでが面倒なのだが、一度設定をすれば従い続けさせることが出来るので、考えを殺すのに有効である。
答えの固定化とは、苦手なんだがとにかくそのテーマに対して徹底的に考えて、一度出した答えを疑わないという行為を指す。考え始めた時に「あっこれ前答えだしたな」と思い至れば、新たに考えるのではなく記憶を掘り起こす作業に徹することができる。まあこれも一種の設定なのだが。
そうやって考えなくていい問題を増やして、出来る限り考えなくて済むようにして日々を過ごしている。
でも世の中で考える瞬間などというのは無数にあるので、結局、日々考えている。
今の仕事も頭脳労働なので、タスク一つ一つが全部考える系のものだ。プログラミングなどその最たるもので、考えを設計に落として、考えをコード化して、考えを基に検証する繰り返しだ*1。
スポーツなどをしていると、考えるよりも体を使う事で無になれることもあるのだが、スポーツばかりして日々を過ごすわけにもいかない。
ただ、多分、俺は考えることが割合得意な人間だ。
一般的な人間より、割合早く、広く、深く考えることが得意なようには見える。また、思考には一定の独創性も持っているようには見える。
そういった自分の特性を考えれば、この社会で生きていくためには、考えることを生業にした方がいいように思う。
死の間際に笑っていたいと思っているのだが、その目的を達成するためには考え続けた方がいいように感じる。
苦手だ苦手だというのをやめて、考え続ける人生を受け入れて、お前は考え続ける事に価値があるんだよ、という定義を、自分の人生に対して設定する方がいいのかもしれない。
もう少し考え・・これもまた考えないといけないやつだな。まあ考えるんだが、考えるのは疲れるなぁと思う事も多いので、そろそろ結論を出しておこうと思う。
考えるのに価値があるなら、そろそろ考え続ける事を許容して、〇年間何をするとかの設定を施すのをやめて、逐次思考型に微調整する方がよさそうだ。
考え続ける事に向き合えないなら、根本的な何かをするべきかもしれない。
そんな思考を、ぼちぼち始めている今日この頃。
考える事に価値があるという定義になるなら微調整、考え続けることができないとなったら大きめの方向転換になる。
*1:もっとも、プログラミングは大抵正解があるので、考える系としてはライトな課題といえるが
いい感じ
世間的にはイタタな内容がTOPに出るのもなんなので、無事身辺というか心情整理が終わって、今月はいい感じになったというのを書いておく。
アクセル踏めてる感はあるので、個人としての集大成と仕事としての集大成目指して突っ走るぞ。という気持ちで。
ある手紙
心配しています。
楽しめていますか。本来の話は進んでいますか。折り合い悪いのではないですか。やりにくいのではないですか。無駄な消耗を感じてはいませんか。
しかして何をすることもできないですし、しようとすることもないでしょう。何も許されないし許さないので。
ばっちこいの強い人なので大丈夫だと信じていますが、心配です。
幸多き事を祈ります。
これに限らず。あなたの今後のすべてに。
以上の私の全ての感情に何も意味などないのですが、無意味を受け止めてくれるここにだけ記します。
さて、もう少し器用にやれるとよかったのですが、おおよそ想定通りの展開でした。
2点ほどあちゃーとなったところはあるのですが、まあうまくできたんじゃないですかね。
各所いろいろとご迷惑をおかけしましたが、これで本当に、おしまいにできると思います。
もう私が心配することも、祈ることもないでしょう。
さようなら。