考える

何かを考えるという行為が本当は嫌いで、考えはじめると頭がさえて眠れなくなるというのが本当は嫌いで、考えないで済むゲームを遊んでいる方が好きで、排除しているが実はテレビも考えなくて済むから好きだ。

考えるのが嫌だから酒を飲んで頭を殺すし、考えるのが嫌だから眠るのが好きだ。




しかし結局、人生は考える事を避けては通れない。

生き続ける以上人は考え続ける。

比率の大小はあれ、人は生きると同時に思考するし、思考をしなくなる日が来たらそれは死んだという事になるのだと思う。




考える、という行為が苦手なため、俺はよく設定と答えの固定化を行う。

設定とは、例えば「この会社を3年やめない」といったものだ。ある程度、自分に納得感がなければ有効な設定にならないので、設定を施すまでが面倒なのだが、一度設定をすれば従い続けさせることが出来るので、考えを殺すのに有効である。

答えの固定化とは、苦手なんだがとにかくそのテーマに対して徹底的に考えて、一度出した答えを疑わないという行為を指す。考え始めた時に「あっこれ前答えだしたな」と思い至れば、新たに考えるのではなく記憶を掘り起こす作業に徹することができる。まあこれも一種の設定なのだが。

そうやって考えなくていい問題を増やして、出来る限り考えなくて済むようにして日々を過ごしている。




でも世の中で考える瞬間などというのは無数にあるので、結局、日々考えている。

今の仕事も頭脳労働なので、タスク一つ一つが全部考える系のものだ。プログラミングなどその最たるもので、考えを設計に落として、考えをコード化して、考えを基に検証する繰り返しだ*1

スポーツなどをしていると、考えるよりも体を使う事で無になれることもあるのだが、スポーツばかりして日々を過ごすわけにもいかない。




ただ、多分、俺は考えることが割合得意な人間だ。

一般的な人間より、割合早く、広く、深く考えることが得意なようには見える。また、思考には一定の独創性も持っているようには見える。

そういった自分の特性を考えれば、この社会で生きていくためには、考えることを生業にした方がいいように思う。

死の間際に笑っていたいと思っているのだが、その目的を達成するためには考え続けた方がいいように感じる。




苦手だ苦手だというのをやめて、考え続ける人生を受け入れて、お前は考え続ける事に価値があるんだよ、という定義を、自分の人生に対して設定する方がいいのかもしれない。

もう少し考え・・これもまた考えないといけないやつだな。まあ考えるんだが、考えるのは疲れるなぁと思う事も多いので、そろそろ結論を出しておこうと思う。

考えるのに価値があるなら、そろそろ考え続ける事を許容して、〇年間何をするとかの設定を施すのをやめて、逐次思考型に微調整する方がよさそうだ。

考え続ける事に向き合えないなら、根本的な何かをするべきかもしれない。




そんな思考を、ぼちぼち始めている今日この頃。

考える事に価値があるという定義になるなら微調整、考え続けることができないとなったら大きめの方向転換になる。

*1:もっとも、プログラミングは大抵正解があるので、考える系としてはライトな課題といえるが