結論を出す前の前提の羅列
まだまだ結論は出さないので、まずはこれまで暮らしてきて思っている前提情報を羅列しておきたい。
没個性な人生を自ら選ぶことはできない
現在の選択における一つの重要な問題として、自らの個性とどのように付き合うか、という話がある。
以前も少し書いたのだが*1、基本的に自らの個性は害悪となりうるものである、という認識があり、その害悪を認めなくても人生は成立するという実感もある。
ただ個性をどこまで尊重するかはさておき、自身の個性を殺しきることは難しいと思うので、個性を没する事は「不可能」という前提を立てている。
あとはその個性を生かす方に舵を切るか、別の大樹を生かす方に舵を切るかという、バランスの問題。
ただ、どちらにせよ個性は発露するものなので、没個性を自ら選ぶ事は本当に自らを没する、ありていに言えば殺さない限りはできないと思う。
ので、生きている限り自身の個性とは付き合う必要がある。
どこに行こうとしんどい
現代社会で生きるというのは割としんどい。多分現代じゃなくてもそうなんだと思うけど現代しか知らない俺が語るのはおこがましいと思うので、現代とつける。
エスカレータに乗ってれば、玉の輿の乗れば、イケメンだったら、スポーツができたら、といったいろいろな事柄は、できることの範囲を広げたり問題を小さくするという意味では役に立つかもしれないけれど、できることが広かろうが狭かろうがしんどいものはしんどい。
結局老いるし病むし死ぬし、という辺りは誰も変わらん。(雑談だけど仏教の考えの中で、生苦だけ概念の難しさが飛びぬけてるのはなんなの)
もう少し範囲を狭めて、顔も腕っぷしも懐具合も凡庸な人間としてみよう。
・・と、いう範囲でいろいろ書いていたけどあまりにまとまらないので没。
とにかく何をどうやろうが、普通に生きるというのが既にしんどいねん(雑)
放り投げて実のない文章になってしまったが、結局普通でも普通じゃなくてもしんどい以上、どこ行ってもしんどく楽な道などない。
俺がサラリーマンとして生涯無難に生きて子供の成人見守ってからくだばろうと、NEETでだらだら過ごして嫁さんの脛かじってたら縁切られてホームレスになった挙句野垂れ死のうと、どっちもしんどい。
どうも虚無主義に見えがちな書き方をしてしまうけど、何をどうやろうとどうせしんどいので、それが楽そうという選択をやめよう、というのも前提に置いている、という書き方なら少しは虚無っぽくない雰囲気で書き残せているだろうか。
楽そうというのは「楽しそう」という意味での正解はあっても、しんどくないって意味だと大抵ただの勘違いなので。
小学校怖い、東京怖い
来年長女が小学校に上がるんだが、両親共働きで小学校に一人で行かせる、というのが怖くてしょうがない。
エレベータとか家とか、年端もいかない子供が一人でいる密室空間が日常に点在しているとかやばくないか。
保育園は、なんだかんだで誰か親と一緒にいるけど、小学校はそうでもない。
俺が子離れできていないだけかもしれないけど、さすがに親離れ子離れを論ずるには早い・・と信じたい。
そんな恐ろしい環境で輪をかけて怖いのが東京で、、東京というか人がたくさんいるところで。
そら熊とか虎とかがいっぱいいるよりは、まだ同族に囲まれている方が安心ではあるけど、正直隣人のことなんてほとんど知らないし、町行く人に至っては完全に未知。
同族であること以上の安全性の保障がほぼない大量の人と接することが不可避なこの東京で、危機回避能力を十分に持たない子供が、一人で日中の大半を過ごすとか、怖くてしゃあない。
ということで、共働きであることが不可避な場合、子供が危険な状態になる、という認識になる程度には来年からの生活を恐れている。
この辺は農耕民族とかの話につながっていって取り止めがなくなってくるんだが、俺はこと家族においては環境を変える努力をする気はないので、基本的には不可避だと思っている。
妻の収入が一定以上あれば、俺が主夫になることの選択肢を持ちたくなるくらいには、重要な問題と認識している。
もちろん、別のいろいろな解法もある問題なので、上記はただの認識の例として。
すべては取れないからこそ、取りたいものには注力する
俺は無い物ねだりをしがちな人間なので、欲しいものに際限はないのだけど、当然すべては手に入らない。
無理だと思ったら諦めるべきだし、一度諦めたら半端な諦め方をしてはいけない。
同時に、欲しいと思いそれを手に入れるべきだと思えば、躊躇なくいくべきだと思うし、半端なとり方をしたらそれすら取れなくなるだろうと思っている。
だから本当に欲しいものはちゃんと取れるように、よく考えて座組を整えないといけない。
その際は、ちゃんと諦めるものを決めておかないといけない。
少し掘り下げると、前回諦めたのは「どっちつかずにならずに済む可能性」で、だから会社と個人両方をやってみようという決定をした。
結果としてはどっちつかずになったわけだけど、今回はラストチャンスなので、こういう曖昧な諦め方をしてはいけない。
一つの可能性として、例えば家長としての自分を尊重するのであれば、個人としての自分の可能性を追求するのを諦める、とか、組織でやれることを諦める、とか、もう少し踏み込めば「作りたい」という自分の感情を諦めるとか、そういう踏ん切りをつけないといけないと思っている。
器用な人はマルチにできるようだが、俺はできないのだ。もう証明は済んでしまった。
まあとにかく、何かを決めるためには諦めるものと力を入れるものを決めないと、というのが、俺の決定をするための前提。
弱い体
ここは3年前同様なので短くいくが、俺は体が弱い。
19歳の時の結核、30歳くらいの頃の骨巨細胞腫と、何かしらの病気で故郷に戻されてしまった実績のある人間なので、自身の健康を武器に無茶をすることはできない。
会社で5年やっているのを見ると、俺は相当健康な部類に入りそうな気がするので錯覚しそうなので、ここは前提を忘れずに設定しておく。
俺は体が弱い。
少ない有り金
それほど金のかかる家族ではなかったので、5年前無一文で戻ってきた割に、手持ちにはそれなりの額をストックできているんだが、いかんせん5年前に0だったのでこの年代の人間にしては有り金は少ない。
生活レベルを落として少ない収入でやりくりすることは多分問題なくできるけど、何かしらの大きい勝負をかけられる程の地力はない。
また、親族などにも頼れる人は少なく、後ろ盾となってくれる人もそれほど多くない、という前提にする*2。
個人で大きな借金を背負う理解も、ちょっと得にくい。
ということで、手持ちで動かせる駒は割と少ない。
この中での勝負、が、基本で、手持ち以外の駒を引っ張ってくる必要のある選択肢は割と取りにくい。
この辺は少し調べることがあるので、現状はそうという定義程度に。
等々
今後も何が前提だったかなというのは集めていって、決める材料を残しておく。
公開記事にまとめる必要があるのか俺自身も疑問はあるのだけど、俺としては公開しておくと言葉の力が強くなる気がしているので、とりあえずまとめたらまた公開する事にする。
もう少しだけ力を借してもらうぞ、はてなダイアリー。
*1:http://d.hatena.ne.jp/tsugehara/20180924/1537771726
*2:俺が泣き付いたら力を貸してくれる人はいるかもしれないが、あまりアテにはしたくない