今後の人生的な指針など

はじめに

今回日本に戻った目的は色々あるんですが、人生レベルで考えた場合の今後1年間、そして人間50年と考えた場合の人生残り20年間の指標を定める事が主目的だったのですが、大体まとまってきたんでまとめておきたいと思います。
異常に長いので暇な人以外はスキップ推奨です。

必要なもの

人生賭けるもの、というのを決めるためには、細部はともかくどうしても決定しておかなければならないことがいくつかあります。


下記三つを決めるべし、と定義付けました。

  • 環境
  • 確信

最後のは決めるというより得るという感じですが。

最初にまあ、当然ですが必要になるのがお金です。
飯も食べられず、雨も防げずでは結構簡単に人間死ぬので、どんなことをやるにしても最低限の金はあった方がいいですね。
金と定義付けてますが、持ち家と畑でもなんとかなるかもしれません。ただ持ち家と畑だと今の世の中むしろ漠然とするので、金としましょう。


さて、金っていうのは結構生き物なところがあって、やっている事によって随分と必要とされる額が変わってきます。
例えば人生賭けて音楽を追求していきたいなんて人の場合、それこそギター一本とおにぎり3個でいけるのかもしれません。
反対に今やっているようなプラットフォームビジネスなんかをやろうとしたら、結構な額の投資をしないといけないので、それこそまず億単位で用意してからがスタート地点になるわけです。


私にとって、必要なものはコンピュータと、インターネットと、そこそこの生活です。
それさえあれば、物は作れます。


「そこそこの生活」は日本や発展途上国で大分違っていて、日本だと月収25万くらい、ベトナムだと5万円 + VISAなどの経費で7〜8万円くらいでしょうか。
ベトナムで計算すれば年間100万くらい、20年で2000万くらい。
日本で計算すれば年間300万くらい、20年で6000万くらいですね。


極論すれば、これ以上稼がなくていいという事です。
この結論を導き出すためには、後述する確信が必要になってきます。


私にとっても実は確信の項で触れる虚無に打ち勝てるかという判断の次に難しかったのが、このお金に対する欲求を消すところでした。
お金というのは常に「あるにこしたことは無い」というところで、実際あった方が色々可能性が広がりますし、周りの人間もあった方が幸せになる確率が高くて、周りの人間を幸せにしているという事実が自分にとって幸福だという感情を生み出したりもするんで、「無くていい」という結論を出すのは実際なかなか出来ないです。


私も何かの弾みでお金に振り回される事はありそうですが、今のところ、自分の人生を賭けるに必要な金額は、一人なら2000万くらいまで抑えられるというのが結論です。
まあこれはちょっと極端な例で、これをミニマムとしてサーバとかの運用費とかは別途調達しないといけないですけど、作る分にはこんなもんです。ちょっと本題とはずれますが、作れさえすれば満足なので、運用は別の人がやってもいいわけで。



お金を用意するためのパスはいくつか用意してあるんですが、2000万の貯蓄もないしあったとしても今の業務に全部突っ込んじゃうと思うんで、ちょくちょく稼ぎながらになるでしょうね。
仮に日本でそこそこレベルの収入である25万が稼げれば4ヶ月で100万稼げるので、発展途上国なら残り8ヶ月は自由に使える。そういう計算です。
ま、今の仕事で2000万くらい稼げるならそっちのがいいんですけど、私という個人は社会から外れすぎてて2000万という金額の用意も結構大変なんで、現実的にはちょくちょく路線でしょうな。

環境

二つ目は、環境です。
この環境っていうのは結構ややこしくて、なんで皆会社を作るかといったら環境としての会社が必要な場合、お金の関係で必要な場合等あるんですが、私の場合は明らかに前者です。
4年半前に触れていますが、私は「一人だとさぼる」んですよね。


もう4年半前に書いたテキストは消えちゃいましたが、最近だと去年の4月くらいで似たようなフレーズを出しています。
http://d.hatena.ne.jp/tsugehara/20100423/1272007774

俺はなんでも個性を消さずに器用にこなす方だと思うんだけど、総合的にやってくとどうしてもビジネス寄りになってくんだよね。回りも金をほしがるし、チームでやると金の話を消すわけにはまずいかない。
じゃあ一人で出来るのかっちゅーと、一人だとさぼることは4年前の時点でわかっていることなわけだし、さぼりながらやれる度量も周りを巻き込みながら好きなことやってく度胸もねーよなぁと。

この辺の話は金の話とも絡んでますけど。


ちなみに私はファミレスで仕事してるとすごい勢いでプログラム書けるんですが、なぜファミレスでやると効果があるかというと、周りの目があるからなんです。
会社もそう。なぜ遅刻しないかといえば周りの目があるからです。
なぜ向上心を持ち続けられるかといえば周りの目があるから。


ということで、人生を考えるのに避けて通れなかったのは、「一人でやるのか複数人でやるのか」「会社に属するのか会社を作るのか一人でやるのか」という、人生を賭けたものに打ち込むための環境問題でした。


結論から言えば、私はさぼりながらやる度量を持つことにしました。
この4年、グループでやり続けて残ったのは結局不満しかないです。
これが俺だと言えるものを作るためには、とにかく一人で納得いくまでやらないとダメというのが結論です。


例えば、今のmobaをもって「これが俺だ」と言えますかっていえばNoなんですよ。
何がまずいって、「これは○○だから」という言い訳が出来るのがまずい。
自分の人生なのに他人がどうこうとかベトナムだからとか言い訳するのって、すんごいお寒い気がするんですよね。


ここでいう言い訳は他人に対してではなく自分に対してです。
他人に対しては今のmobaだって俺が作りましたよって言いますけど、そういうこっちゃないです。
他人に対して自分を偽るのは簡単ですが、自分に対して自分を偽るのは厳しい。実際に○○さんが△△と言ったから、というのはあるわけで、「だからダメ」とかだけでなく、「だから歯がゆい」とか「だから遅い」とかでさえ全て言い訳なんですが、これらを他人に対して誤魔化す事は出来ても自分に対して誤魔化す事は無理です。
人生賭けたものがそういう言い訳で染まらないためには、自分一人でやらないと私はどうやら無理らしいと4年自分を見ていて思いました。


ちなみに、環境についてはもう一つ場所の問題もあるんですが、一人でやるなら別にどこでもいいです。
先のお金の問題の関係で、日本でやる必然性は余程おいしい話が無い限り無いよなと思っていて、今のところ中国かベトナムの2択かなって感じです。
中国は上海とかでなくてもっと田舎、ベトナムホーチミン市とかハノイ市とかじゃなくてカントー市とかです。生活費が抑えられるんで。ベトナムなら中部もよさそうですが、食料が海産物だけでないならやっぱりメコンデルタの辺りが最安っぽい気がします。とはいえ加工品の最安は中国でしょうね。
もうちょっと考えますが、今のところはベトナムカントー市が最有力です。

確信

最後に、これが一番重要なんですが、自分の決断に確信を持つ事が必要でした。


例えばITでいいのかどうか。
一人でやるという決断が正しいのかどうか。
お金は最低限でいいのかどうか。
親を一人残して外国に行っていいのかどうか。


全てに自信というレベルではなく、確信というレベルで自分の決断を信じることが出来なければ、30超えて人生賭けるなんてリスキーすぎて出来ません。
この確信を得るためには、かなりの時間を自分と対話しないといけないです。
幸い、私は自分と対話する事自体は12の頃からずっとやっていて結構得意ですし、今回の帰国に合わせてそのかなりの時間を対話にあててます。
まだ完璧ではありませんが、ほぼ確信といえるレベルまでは詰めました。


私は何かを変える時は常にそうなんですが、何かを変える時にはそれをしないという決断をした時のことを同時に考えます。
つまり現状を白紙にした上で、現状維持というのは変えないという事ではなく白紙から変えているという位置付けにします。


これだけで現状維持というのも○○という方向に進むという決断になり、決断をしないとか先送りにするという選択肢は消えます。例えばお金を稼ぐというのがいいのかどうか、集団でやって本当に後悔しないかどうか、こういうメンバーでやっていて本当に楽しいかどうかって事を考える必要が出てくるわけです。
友人達にはよく言えば思い切りがいい的な事を言われますが、多分現状維持という選択肢を消して全て新しい決断という扱いにしているかどうかという違いでしかない気がします。


で、そういう風にまっさらに考えていけば結局のところ何をするにしてもメリット、デメリットってのはあって、自分の人生で一番重要視するものはなんなのかという優先順位付けで考える事になるんです。
私は生まれてこの方一度も金儲けをしたいなんて思ったことはなくて、仲間とやりたいってのも自分の要求を実現したり自分がさぼらないようにしたいからって理由だったりで、本質的にじゃあ自分は何をやりたいのかって言ったら自分が作りたいものを作れるようになりたいんですよね。
だからプログラムも覚えたわけで。


で、もし50になった時、自分が作りたいものが一つも出来てないなんて事がありえれば、今まで生きてきたことそのものが無意味に感じるんじゃないかというリスクが、私のような自己完結型の人間の中では一番重要視されるべきだと考えました。
ではそのリスクを取り除くための最善の選択肢はどれかと言えば、結局一人・最小コスト案に落ち着いたんです。


当然、この結論は別の強大なリスクをはらんでいます。
私が若い頃言われた事ですが、「お前はいつか一人になる」という話、つまり人間社会における虚無と対面し、つぶれるリスクです。
特に今、なんだかんだで私には母親がいるんでいいですが、母親が私より早く死に、かつ私が外国にいて死に目にあえなかった時なぞ下手すれば崩壊するんじゃないかなとも思います。


この話は長くなりすぎるのでマザコン気味な話で端折りますが、特に母親ってのは私にとって一番の恩人なので、その恩人に恩も返さず見殺しにするような事があれば、金とか名誉とか他の柱を持たず、自我だけで己を支えようとしている人間はあっさり潰れる危険性が高いと思うんですよね。


と、色々あるにはあるんですが、今の私は自信を持って言えます。
今私が考えている結論は正しいと。


この世に生を受けた理由なんて知りゃしませんし、人のために生きるも金のために生きるも自分のために生きるも自由でしょうけど、最終的な人生の成否は自分が自分を好きになれるかどうかだろうと思ってます。
先のリスクは自分が自分を嫌いになるリスクであって、自分が自分を好きになる可能性は母親に親孝行する事で得られるものでは、少なくとも私にとってはありません。
満足はするかもしれませんけど、他人に対する行為を満足の理由をにしてしまえばそれは一時的なもので、私は私が出した結果そのものに恒久的な満足感を得たい。


50になって「やべ、そろそろ死にそう」ってなった時、目の前に自分が人生賭けて作ったものが並んでいるのと、一所懸命働いて手にしたお金が溜まっているのと、苦楽を共にしたたくさんの仲間とか家族が周りにいるのと、どれもバランスよく揃っているのと、それぞれに魅力があるところだとは思いますけど、私なんかは器用じゃないので二兎すら得られないのは29年の人生でわかってるつもりです。
ならば、自分が一番するべき事はなんで、なぜならこういう理由で、そのための方法論はこうで、そうするとこういうリスクを背負う事を承知した上で、こうするべきだろうと確信を持って進むべきだろうと。


ということで、私がするべき事はものを作る事で、なぜなら自分が自分を好きになるには作りたいものを作りきることが必要で、そのためには金を最低限に抑えてその金を用意し一人で奥地にこもって人生賭けてやるべきで、そうすると虚無と対面して潰れるリスクはあるだろうけど、私はそうするべきだろうと信じます。


今は自信を持って言える程度なので、今月中もうちょっと考えて、確信レベルまでこの結論の信頼度を上げたいと思います。
ちなみに人生は勝手に4分割くらいかなと思っていて、自我形成をする10歳まで、学ぶ期間としての30歳まで、学んだことを活用する50歳まで、以後余生。個人差あるでしょうけど、私は本格的に学び始めたのが遅く17歳くらいからで、17歳からはかなり生き急いでるのでこんなもんかと。余生のとこまではまだ考えてないです。

補足

Blogにはずっと書いているので語弊ないと思うのですが、この辺の話は2012年4月以降の話です。
別にいますぐどうこうという訳ではなく、今やっている業務はがっつりこなした上で、その次どうするかという話なので変な心配はせんでください。
少なくとも向こう一年、現在の業務には全精力を注ぎ込みます。


もう29歳なんで、そろそろ人生プランの一つや二つ立ってないと全力注ぎ込めないんで、ある種この辺の話も今の業務にいかに注力するかを突き詰めた結果として、今結論を出しているだけです。
R&Sモバイルで単体黒字は、今年中に行きますよ。
そんでもう黒だし後は手を抜かなきゃ大きくなるだろうし頑張ってね、サラバだ諸君、俺はネオニートやるぜと言ってカントー市に去ると。


よし、て事で人生の指針はもう少しだけ確信の度合を上げるだけで設立完了となり、Tetの終わりも近いので、現在の業務にゼンマイ巻き直して取り組んでいこうと思います。