ベトナム人との共同戦線についての感想(1)

いいところ

ベトナムに来て、「ああ、俺は間違っていなかった」と思うのは、ベトナム人の学習意欲に触れている時だろう。
とにかく皆よく学ぶ。それにとても真面目である。
家に帰ってからの勉強は当たり前、出勤前に軽くおさらいするのは当たり前、聞いたことをすぐノートにとるのは当たり前、必要なものを自分で買うのも当たり前。
毎朝6時に起きて、運動してからシャワーを浴びて、余裕を持ってバイクをかっ飛ばして、定時の20分以上前に事務所に入ってきたりもする。
ろくに仕事も出来ないのに学びもしない、文句を言う癖に権利はしっかり主張して、ぎりぎりに来るかたまに遅刻して定時に帰る。生活するには十分な給料をもらっているのに、給料が少ないと文句をたれ、「あー疲れた」と毎日疲れた顔で出社してくる人々と結構長いこと一緒に仕事をしてきた身としては、いや、刺激は受ける。


日本は仕方無いのだがな。
だって生活するの余裕だし。別に頑張らなくてもいいと思うし、その生活を否定するつもりもないのだが、刺激にはならんし刺激が無いとつまらん。
そりゃ教える方としては、つまらん人々より刺激になる人々の方が教え甲斐があるってもんだから、私の心理も仕方無いということだ。


日本人全てがそうとは言わないが、ITが別に好きではない2年目〜3年目の業界人の多くは、やはり該当してしまうんじゃないかな。

よろしくないところ

応用力が足らない気がする。
とにかく学ぶのがとても好きな人々である。
本なり学校なり、ちゃんとしたところでしっかりとしたステップを踏んで学んでいく人々だ。
それが悪いことだとは言わないが、書いてないことをもう少し理解出来ないとITはきついべ、というのが正直な感想。
全然ググってくれないし、まだITに慣れていないのだろう。「とりあえず検索しろ」という昨今の日本の文化に馴染んでいると、この辺が少し物足らない。
マウスやキーボードの操作も、なんだか遅いしな。ITはもちろん、コンピュータ自体に慣れていない証拠だろう。


IT関連では、「Wiki」や「Blog」が通じなかったのもカルチャーショックを受けた。しかもバリバリのエンジニアに通じないのである。
ホント、ITが根付いて無いなぁという感じ。

悲しいところ

日本語の言い回しが全然使えない。
適当な英語と易しい日本語を喋っていると、なんだか猛烈にフラストレーションがたまる。Blogの執筆回数が増えているのは、このフラストレーションを発散したいという理由が大きい。
私の日本語は変だと自覚はしているし、文法上おかしいところもあるので、この日記は日本語勉強のためにつけている部分もあるのだが、せっかく勉強した日本語の言い回しが一切使えないのは思ったよりしんどい。
高度なプログラムを書ける人間が、高度なプログラムを書くとわからないからと、あえて技術力を抑制してプログラムを記述する心理と似ている。
わかりやすく言うと、関数を使いたくて仕方ないのに、全てmain関数内に記述しなければいけないプログラムを納品させられている、という状態である。


メールは基本、全部平仮名。
にほんご の むずかしい いい かた が ぜんぜん つかえ ない のが かなしい です。
とかね。いや、ほんとに。
「ぜんぜん」と「つかえ ない のが」はもう少し易しい言い方に変えた方がいいだろうな。「ぜんぜん」を消して、「つかえ ません」で一度「。」つけて、そのあと「かなしい です。」にしてみるか。
とかね。
フラストレーションたまりそうでしょ。


あと、皆お酒をあんまし飲まないのも悲しいかな・・。
飲み会でビール300ミリリットル飲んで、あー飲んだなぁ、は、無しだべ。

総評

今のところ刺激を受けているからいいのだが、総評を出すには時期尚早。じゃあ書くなよという話だが、フラストレーションたまってるから仕方が無い。
今のメンバーで一ヶ月くらいやってみて、新しいメンバーを入れて一週間くらいやってみて、全メンバーが合流してから一ヶ月くらいやってみて、半年後くらいにもう一度まとめて、と、あと4回くらい書いてみる予定。
現在人間的に評価しているベトナム人に対して、今後私の心理がどう変わっていくのが、Weblogとして残して後でほくそ笑むとしよう。