気の利いた言葉

別れにおける気の利いた言葉というのがなかなか出てこない。

暇なので別れる際の挨拶をちょっと考えてみる。

バイバイ

これはあっさりすぎるんじゃないだろうか。

日本人なのに英語使っているのがよくわからないし。しかもbye byeですらなく「バイバイ」。

ネイティブな発音でいい感じに言えるならまだしも、色々といけてない。

さようなら

さようならってなんか今生の別れ感がある。いや今生の別れならいいのか。

いやなんか語感に妙なおセンチ感があって俺の主義に合わない。没。

また会いましょう

これは一般的には悪くなさそうだ。

ただ個人的には一期一会が好きなので、なんか未練がましい感じでダメだな。

しかも「また」っていつだ、何時何分地球が何回回った時の事だ、と、具体化したくなるやつだ。

また来世で

「さようなら」と「また会いましょう」の中間くらいか。

今生の別れではあるけど、縁があればまたそのうち。輪廻が回れば会うだろうくらい。

個人的には結構好きだが、一回生まれ変われば必ず会えるような匂いを感じので、そんなつもりがなくてもきもく受け取られがちな気がする。

また来世とか来来世とかその辺で

このくらい濁せばどうだ。ダメか。やっぱり輪廻を匂わすだけでダメか。

個人的には結構好きな挨拶だが。来世より前に会ったら会ったでそんなに気まずくもないし。

縁があればまた

よくあるやつ。「縁があれば」と具体的にしているので、ただの「また会いましょう」よりマシか。

未練がましいフィルタに引っかかるので個人的にはない。

・・

無言。文章にすると中黒二つ。

文章なら一つの中黒に100の意味をこめた、もう一つの中黒にまた別の100の意味を込めた、とかいくらでも後付け設定ができる。完璧ではないだろうか。

でも気の利いたセリフというかセリフですらない。文章ならともかく対面でやるとただの無言だ。無言で別れを言うのもそれはそれでどうなのかという気もする。

では、そういうことで・・

これはよく使う気がする。

どうせ何を言っても気が利かないので、なんかよくわかんないけど別れの挨拶ということにして、あとの細かい点は受け取り手に委ねてよろしくしてしまうメソッドだ。

気が利いてるかというと、気は利いてない諦めの境地にある言葉だが、セリフにならない中黒も併用できる。便利。

ベトナム語

Hen gap lai。Henが約束、gapが会う、laiがまたって感じの意味なので、まんま「また会いましょう」だ。

Tam biet。さようならという意味で使われる。しかしすまん意味は解説できないのでインターネットの広大な力に頼る。

https://en.wiktionary.org/wiki/t%E1%BA%A1m_bi%E1%BB%87t

中国語の暫別という言葉由来らしい。しばしの別れって感じか。思ったよりまた会いましょうに近かった。どっちも個人的にはいまいちということになる。今度ベトナム行く時困りそうだ。

じゃあの

キャラがね・・もとからそういうキャラならこれでいいんじゃないでしょうか。

しかし俺がいきなりこんなセリフいったら、ちょっとキャラぶれてませんかね、と突っ込まれてお別れどころではなくなってしまう。

そんじゃーね

じゃあのと同じだ。

というかこの辺よく考えたらさっき書いた「では、そういうことで・・」と同じやんけ。「では系」と分類しよう。

「そういうこと」とか余計な言葉をつけてないのであっさりしていて使いやすい。

結論

  • すぐに会う予定があるなら: また会いましょう
  • 死別とかでもう会う事がなさそうなら: さようなら、また来世とか来来世とかその辺で(長い)
  • 特になんということでもない時: では系

インターネットに向けた文書だと誰が読んでるかわからないから「では系」が強い気がする。

込める意味の量に応じて中黒の量を調整すればよかろう。気は利いてないが。




ということでこの暇な時間では、気の利いたセリフは特に思いつかなかった。

別れの際はまた適当な挨拶をその場で考えて、「ああ、また気の利いた事言えんかった」と後でがっかりするんだろうがしょうがない。

また来世とか来来世とかその辺で思いつく事を期待しよう。

では、そういうことで・・