一日

日本に戻って特に昨日一昨日の土日は、嫁やら母親やらへの時間に割いたんだが、意外に一日は終わるなぁと思ったので、メモ。


パソコンも使わず、テレビも使わず、ただ食事の支度やら買い物やら、ぶらっとピクニックに行くやらをしただけであっさり一日が終わる。
確かに引きこもってた時代も大して何もしていないのに一日が終わったわけだけど、もうちょっと暇を感じる時間があったように思うのだが、暇だと思う間もなく何もしていないつもりなのにあっさり一日が終わることに少々驚いた。


朝適当な時間に起きて朝ごはん食べて、食べ終わったら洗い物して、まあ洗濯なり掃除なりして、終わったら昼ごはんの準備して、終わったら昼ごはん食べて、少し話ししたりパソコン付けてニュース見たり外出て少し遊んだり、なんやかやしてる内に3時4時くらいになるので夕ご飯の買い物に行って、洗濯取り込んだりしてから夕ご飯準備して、終わったら食べて。
風呂沸かして、誰か風呂入ってる間に夕ご飯の片付けして、布団敷いて、風呂入って、終わったら歯磨いて多少まったりしてから寝る。


これで一日って終わるのだと、昨日はじめて気づいた。
まあ引きこもってる間は食事の支度とかも母親に任せっきりだったし、今より時間があったんだろうけど。


愕然としたってほどではないけど、すこしびびったのは一日というのは集中すれば何かしらアプリなりこさえられるレベルの量の時間があるはずなのに、何もしてなくても終わるという事実。
まあ一日っていうのは一時間が24回あるだけなわけだし、一時間なんてのは一分が60回あるだけなわけだし、そりゃそうなんだろうけど。


ああ、下手な使い方をすれば何もしなくても時間切れで死ぬんだなと。
それ自体にも少しびびったんだが、もっとびびるべきは特に俺の周りにいる女性陣なんかはこの時間こそが幸せだとしていること。
何もせずに一日終わらせて幸せだとして、それで後に残るのは思い出のお花畑か殺伐とした焼け野原なのかはすごし方感じ方次第だろうけど、結局飯食ってうんこして寝てるだけだなと。思い出しか生み出してない。


それはそれで重要だと感じる人もいるだろうし、完全に無碍にするつもりはないが、全面的に彼女らの幸せを願いそのために尽力すればおそらく死ぬ間際に俺は後悔する。
おそらくもっとも恐れるべきは子供が生まれた後。俺が家で仕事をやれば、子供が5歳になるくらいまで嫁のペースがある程度重要視されてくるはずで、嫁のしたいことを尊重すれば尊重するほど俺の時間は確実に削られる。


まじめにこの辺のバランス感覚を考えた方がいいなと、昨晩思ったので一応メモ。