停電ついでに常識の相違についてなど

今日は7時から停電です。
家が停電していたので早く会社に来たんですが、エリアが同じなので会社も停電してました。


4年間ベトナムにいてよく思うのは、自分が正しいと思っている事が正しいのかどうかという事です。


例えばこの停電ですが、私は停電の無い国から来た停電が当たり前ではないという常識を持つ人間で、ベトナムは停電が当たり前の国です。
年間の停電量とそれによって麻痺する人的なコストを考えれば、ベトナムが先進国の仲間入りをするためには停電をもっと少なくしたり、せめてもっと計画的な停電にして事前に周知する必要がある、というのが正しい意見ではないかと私の常識からすれば思うわけです。


ただ、ベトナムでは停電など当たり前の事なので、私達日本人がなぜ停電でそんなに目くじらを立てるのかわからないので、私にとっての正しさは彼らにとっては間違いにも見えます。
停電で仕事が遅れるのはこの国では当たり前です。
だって停電だから、パソコンが使えず、仕事が出来ない、停電は自分達のせいではないし、仕事が遅れるのも自分達のせいではない。
ベトナムにとっては当たり前の事なんですよね。


とはいえ停電したんで月曜納品でいいですかなんていったら日本の人たちに怒られます。
百歩譲って停電は理解したとしてもそこから徹夜したりサブ環境用意してやったりするのが日本の人たちにとっては正しい事なので。
これもベトナムでは正しくない事です。


4年間ベトナムにいてよく思うのは、正しい事とは常識によって定義されるものなので、国が違えば正しい事も違うのだという事実です。
ゴールが共有出来ていれば、このゴールを目指すためにはこういう常識が必要で、これが正しいことだよねと。昨日触れた用語定義のようなものを先にやって、組織として国を超えた意識共有が出来れば一番いいのです。
たとえゴールの共有が100%上手くいったとしても、人生は仕事だけで出来ているわけではなく、組織というのが仕事のための組織でしかない以上、それだけで正しさが統一出来ると妄想するのは自由ですが甘いです。


そういう意味で、理想的な仕事の集団を作るには、宗教法人か何かで私生活も含めた完璧な組織を作り上げるのがいいのかもしれません。


なんか停電の話から随分謎の領域まで入ってきましたが、停電のため何もする事がなかったので書いていた駄文です。失礼しました・・。
おとなしくSNSの改修スケジュールでも立てることにします。