残業について

残業という概念について少しだけ記す。


残業とは何か?
定時後の仕事、と思いがちだが、法的には一日8時間または週40時間を超えた場合、超過分の労働時間を残業と呼称する。
正式な名称は法定残業というらしい。


残業否定派の主張をまとめると以下くらいだろうか。抜けがあったら教えてほしい。

  1. 残業するのは定時内に仕事が終わらないので、残業自慢は自分の能力不足を自慢しているようなもの
  2. 残業するのが当たり前という空気を作るべきではない
  3. 週40時間以上労働することで、かえって時間当たりの効率が落ちることは前から言われていることで、現代ではもはや常識
  4. 残業は必然的に疲労を蓄積させるので、結果として発想力の低下や、ケアレスミスを生むことになる
  5. だらだら仕事をやっている人間が、残業手当という報酬によって、時間内に集中して仕事を終わらせた自分より給料が高いケースがある。納得がいかない

さて、至極もっともな話である。
だが、残業とは何か。もう一度言う。
・法的には一日8時間または週40時間を超えた場合、超過分の労働時間を残業と呼称する。
否定派に聞きたい。
「一日8時間」と「仕事」に何の関係があるのか。
「週40時間」と「仕事」に何の関係があるのか。
時間当たりのパフォーマンスも、労働に耐えうる体力も人によって異なるはずであろう。
なぜ、残業という尺度を持って物事を考えようとするのか。
勝手に結論付ける。「残業」と「仕事」に関連性などない*1
一日8時間で疲れる人間がいれば、一日12時間で疲れない人間もいる。
ただの目安でしかないものを都合よく自分に当てはめて考えるのは愚かしいとさえ言える。


常識だと思うが、一応記しておくと、法律とは弱者を守るためのものである。
当然、労働基準法も弱者を守るためのものだ。
経営者によって不当に長時間拘束される労働者を守るために、一つの目安が必要になる。
それが、8時間である。
残業とはこの目安を超えた時間による労働であり、それ以上でもそれ以下でもない。
よって、そもそも自分の意思で働く経営者に残業などという概念は存在しない。労働者だけの特権だ。
この8時間は目安でしかない。
時間の使い方が異なるのは人に個性がある以上当然であり、8時間だ、12時間だというのは意味の無い事だ。
目安で仕事が出来るわけがない。


さて、残業否定派の意見をまとめると、残業したからといって仕事をたくさんしているわけではないという事。
ごもっともである。至極ごもっともな意見である。
残業したから仕事をたくさんしているわけではないし、残業してないから仕事をたくさんしているわけではない。
人によって違う問題について、「「残業した」=「仕事をたくさんした」」を証明するためには、全ての残業した人が行なった仕事を調べ、全ての残業をしていない人が行なった仕事を調べ、その上で全ての残業した人が全ての残業していない人よりも、仕事をたくさんした事を証明しなければならない。
残業した人間の方が、残業していない人間よりも多く仕事をしている可能性が、たとえ高いと証明されたとしても。
否定派は言うだろう。
「だからといって、残業をすることが偉いわけではない。」
仰るとおりである。ごもっともである。
残業をすることが偉いわけではないという事実を反証するためには、やはり全ての残業が偉い事を証明しなければならないので、この説はごもっともな意見となるわけだ。
つまり、「残業をすることが偉いわけではない」は、その程度の理論である。
否定は肯定よりも遥かに容易い。


一つ提案がある。
時間という概念をなくしてみたらどうか?
労働時間という概念や、残業という概念は、所詮仕事とは関係が無いのだ。
早く終われば早く帰ればいいし、遅く終われば遅く帰ればいい。
IT系なら適用は容易いだろう。
そういう職場がないなら、今なら資本金は0円で会社も作れる。自分で作ってしまえばいい。
部下を100人くらい抱えてみて、その上で毎日4時間くらいで帰っている人間を評価すればいい。
残業という概念も時間という概念も無いのだから、出力だけを見ればいい。タイムカードも廃止せよ。
無い概念について不満を抱く事もないだろうから、残業についての不満など木っ端微塵に吹き飛ばせる。単純明快な解決策だ。


個人的な意見では、早く帰っている人間を一律にどうと言う気はない。
しかして本日完了予定の仕事が終わっていない状態で、かつその仕事を終わらせられる人間が自分しかいない時、「すみません、今日は早く帰りたいので、これは明日やってもいいですか。」と言う人間は大嫌いである。
上司はその時考えている。その仕事が終わらなくて問題がないか、問題があればどのようにして解決できるか。
自身の都合で人に負荷を押し付ける人間は、繰り返す。至極個人的な意見だが、大嫌いである。
だから、「残業」という概念で、「俺はこうこうこういう理由で残業をしない。だから、今日は早く帰ります」とのたまう人間には意見がある。
その時、その場、その状況という常に異なる状況の中、「定時に帰るのは労働者の権利ですから」とお役所仕事よろしく、誰かに責任を押し付けて帰る輩は、ただ自分を大事に大事にしている人間で、つまりは責任感が無いだけだ。
だから、嫌いである。


だから、残業が嫌いな人間は、まず時間という縛りをなくせと言いたい。
「残業」=「仕事の量」に関係がないなら、そもそもの縛りである「定時」も無くせる。否定の意見があることを知った上であえて記す。「定時」は無くせるのだ。
そうすれば「残業」も消える。思う存分仕事をすればいいし、思う存分休めばいい。
その上で結果を出せばいい。
自営業者や経営者は全てそうだがね。
つまり、独立するか自分で会社を作れと言うことだ。
上司の気持ちを知りたいなら、そのルールを作った上で部下を雇えということだ。
そこまで行動した結果の意見なら説得力もあるが、ただ現状について不満を言っているのはつまらない。
つまらない意見は本来路傍の石なのだが、今回は身近な人間から聞いたので、路傍の石では済ます事が出来なかった。
本記事の動機はその程度だ。
つまらん話だが、この程度の意見を飲み会の席でまとめられない自分という人間が情けないな。情けない。

*1:揚げ足対策で書くが、パートタイムや接客業などは別だぞ。