印象に残った言集

偉人でもなんでもない、知人や友人が言った言葉で印象に残ったもの。

それはそれ、これはこれだろ?

某社部長。の、発言を、某社主任から伝え聞いたもの。
その主任の話し方が印象深かっただけかもしれないが、これは使えると思った言葉。
例。
「今○○プロジェクトがとても忙しくて、とてもそちらまで手は回りません。」
「それはそれ、これはこれだろ?引き受けた以上しっかりやれよ。」
この例だと「しかし現実問題」から始まる反撃を受けることが予想されるので、その場合は「じゃあどうしたら出来んのよ」と逆に聞くだけで言い訳はほぼ完封出来る。あとは建設的な話。
便利。私もよく使う。人に対しても、自分に対しても。

お前いつか一人になんで。

某店店長。私に対しての予言または忠告。
例。
「そんなんやってたら、お前いつか一人になんで」
一人でも別にオッケーですが、ハイ、すみません、気をつけます。
言われて以来、ちっとは気をつけてるつもりです。代償としてちょっとつまらない人間になったかもしれませんが、今のバランスはそれなりに気に入ってます。

回らないよ。

某社係長。確か当時係長。
人が死んでも世界は回るって事ですよ、という私の意見に対して。
「回らないよ。自分が死ぬってことは、なんにもなくなるって事だと思う。なんにもなくなって、なんにもない中でさらになんにもなんにもなくなって・・」とかなんとか。詳しくは忘れた。
自分の死によって世界が終わるという話。いい大人なら一度は考えた事がある事でないかな。
自分が死んだ後で世界が回っているか、回っていないかは知覚出来ないレベルの話だからどっちでもいいんだが、彼の意見は自分の終わりは自分の世界の終わりに留まらず、自分が死んだ後の世界の終わりも含まれるという点で斬新だった。
大分前にここではない別のBlogで触れた話だったかもしれないが、もしこの世に時間がなかったら、という話と同じく、知覚出来ない話はどうでもいいのだが。
その時のジェスチャーと、「回らないよ」とポツリと言った一言が印象に残った。

お前絶対、ってよく言うよな

某友人。
絶対なんてめったに無い、と言われた。
言われてみりゃそうだな、と思って以後あまり言わなくなった。
ただのアクセント代わりに使ってたのだが、確かにおかしな言葉だ。

なぜ悪いところに行きますか。悪い人がいるからですか。そういう説明ですか。

某社通訳。
なぜタバコを吸うか?という問いに、「そうスね、そこに山があるからです、という説明じゃ駄目ですか」とトンチンカンな答えを出したらこの反撃をくらった。
「なぜタバコを吸いますか。タバコを吸う人がいるからですか。なぜお酒をたくさん飲みますか。お酒をたくさん飲む人がいるからですか。なぜ悪いところに行きますか。悪い人がいるからですか。そういう説明ですか。」
そこに山があるから、でこんな反撃を受けると思わなかったという点で斬新。


仕方ないので「全部それが好きだからです」と言い直した。
考えてみれば、そこに山があるからです、ってだけじゃ説明不足なんだよな。
「そこにタバコがあるから、タバコを吸うんです。タバコが俺を呼んでいるから、俺はタバコを吸うんです。」
こういうのって受動的なんだよな。自分の意思ではないみたい。
無宗教国家日本で生まれ育った人間としては、やはり自分の意思で吸っているという意味で、「酒をたくさん飲むのも、コンピュータを触るのも、悪いところに行くのも、タバコを吸うのも、全部好きだからやってんですよ」の方がよほどいい。
山があるから、は、能動的な人間の説明としてはあんまりいい言葉じゃないのだ、多分。

蛇足

全然知らん偉人が言った言葉もいいけど、身近な人も結構印象深い言葉は言ってんじゃねーの、という話。
そういうのをこの辺でまとめているらしい。
http://www.darekagaitta.com/
らしいが、言葉ってのはその場で人と人がいて成り立つもんだから、例えばこれってすごくいい言葉だと思うんだけど、

10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。
今やり直せよ。未来を。
10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今。

所詮ここではないどこかで、自分ではない誰かが、自分ではない誰かに言った言葉でしかない。
こういう言葉に感銘を受けてる暇があったら、目の前の人あるいは自分と、もっと真剣に話してみた方がいい気もする。
そんで、話した事、自分に対して話した事なら考えた事、それをしっかり実行する。


「今やり直せよ、未来を。」なんて、すげーいい言葉なんだけど、具体的に何をするかなんてなんにも書かれてないわけで。
こういった言葉を受けて結局何をするのかってのは自分自身だし、自分ではない誰かが言った言葉を聞くなら、ニーチェシェイクスピアの言葉ではなく、自分に対して身近な誰かが発した言葉をもっと気に留めた方がいいだろう。