エヌ・イー・イー・ティー

が、次の日本のクリエイティブ勢力の中核を担うのでは、という説がある。
誰が言ったかはすまん、例によって忘れた。ヤングサンデー連載の「絶望に効く薬」という漫画に載っていたのは覚えている。
「説」の定義に有名人の言葉を当てはめたかったら、同漫画の単行本をチェックしてみていただければよい。


私も小6の三学期から学校には行っておらず、17歳と6ヶ月ほどまで引きこもっていた。期間に換算すれば5年半といったところか。兄貴とサッカーに興じたりはしていたが、社会との断絶はしていたので引きこもりと威張らせてもらおう。
よって、引きこもっている人間が外に出る時のパワーというのは理解しているつもりだ。
もちろん個々人で差はあれど、引きこもりなどという隔絶された世界から世間に飛び出す時に必要なパワーは、少なくとも当人にとっては非常に大きなものとなるのは確かだろう。
私もそのパワーを発揮し消費し、長かった引きこもり生活を卒業した現在に至る。
勤怠がよろしくないのであまり立派とは言えないが、立派ではない社会人としてはなんとかやっていけているようだ。


その上で、あえて言いたい。
お前ら、無理に社会に出るなと。
引きこもってろと。
社会というのは確かに生活する上では便利だが、かじれる脛があるならかじっていればいい。まあ、かじらせてもらっているのに威張るのは、後々を考えれば不利になるので推奨はしないが、腰を低く保ちつつ有難くかじらせてもらっていればいいと思う。
で、多分引きこもり続けていると、どっかで発散したくなるので、その時に自分が納得の行く形で発散すればいい。
納得のいく形が社会に出る事しかなければ出ればいいし、何か作りたくなったら作ればいい。
重要なのは、どうせ自分には無理だし、などと思わないことだ。これは引きこもりに限らず通常の社会人にも言えるが、引きこもりは経験の絶対量が少ないからこういう思考に陥りがちなのであえて言う。
どうせ自分には無理だし、などと思わないことだ。
やりたかったらやればいい。そんなシンプルな話もあるまい。
力がなければつければいい。そんなシンプルな話もあるまい。
力がつかなければ他の手段を探せばいい。そんなシンプルな話もあるまいよ。
自分の感情を尊重すること、ひいては卑屈にならず自分を尊重することが大事なのだと、まあ今だから言えることだが、今ならそう言える。
ほぼ無限の時間を有することの意味を、例えば社会人になれば交通時間含めて平均10時間は「仕事」という名の労働に費やされることを考慮し、理解してみてほしい。理解した上で自分が尊重できないなら、多分あなたにNEETは合っていない。NEETで居続けるのも何気にしんどい話なので、合ってないのにしんどい思いするくらいなら、とっととやめた方がいいだろう。


ただ、引きこもり諸君は一つ注意してほしいことがある。
自分の稼ぎがないので、いつ家を追い出されても文句を言えないということだ。
「親の義務」とかとってつけた言葉を振りかざす人間もいるが、はっきり言おう、その言葉は間違っている。
だってお前なんにもやってねーだろ。
部屋の掃除してもらって文句言ってんじゃねーよ。
お前の部屋じゃなくて、親の家だろーがよ。
飯作ってもらって文句言ってんじゃねーよ。
文句あんならとっとと家出ろよ、この役立たずが。
と言われても一向に文句は言えない。正確には、言う権利がない。無い権利を振りかざす事は間違っている、そういうことだ。養育義務を盾にとるなら、まず自分が全ての法律・条例・勧告・判決に違反してないか確認してから振りかざすんだな。自分が清く正しい人間なら、法律使ってもいいんじゃないとは思うが、都合のいい法律だけ使ってるんじゃ説得力もなにもないだろう。


そんな立場の弱い引きこもり諸君がなぜ中心勢力になりうるか、また私はなぜ家を出るなというかというと、社会というのは出れば染まるし消耗するものだ。
もし、100%の自我を維持しようと思ったら、本質的に人間は社会に出てはいけない。
「学習」という行動を起こす以上、人間は社会に出ては人格を維持出来ない。確実に侵食され、最適化される。
引きこもり諸君は社会に出ていない。
よって学習する機会が少ない。
よって自我が維持されている。
よって、引きこもり諸君は個性的である。
私も17歳の頃は冬でも半ズボンだったし、もちろんシャツもズボンの中に入れていた。年上に敬語なんざ使わなかったし、携帯ももっていなかったから月の生活費は家賃+1万円くらいだった。
私が今、17歳の頃の私を目にしたら驚愕することだろう。なぜならそれはとても個性的な存在だからだ。
個性とはとても大切なものだ。
個性の中から発明が生まれることもある。
是非、引きこもり軍団には引きこもり続けてもらって、革新的な創造をしてもらいたいと思う次第である。


社会なんて生活をするという非常に重要な一点を除けば、大した役割を持っていないのだし、そんなにいいもんでもない。
無理に出ようとせず、引きこもり続けるのも人類の文明を発達させる意味では重要なことだと思いますよ。
70歳まで生きて、親のすねパワーで引きこもり続けてTRONを作るだけ作って死んだ引きこもりと、会社員として毎日毎日会社に行き、生活費を稼ぎ、結婚し、幸せな家庭を築いた社会人を比較するなら、私は前者の生き方にあこがれる。
この思考が一般的かどうかは知らないが、もし共感を抱いていただける引きこもり殿が本日記を閲覧している場合、是非社会に出るために使用するパワーを温存し、何か自分を表現することに使ってほしいと願う次第である。