子供が生まれた時の状況や思ったこと諸々

ベトナムでの出産について

ベトナムでの出産はどんな感じかっていうと、多分日本人コミュニティとローカルでまたちょっと違うけど、俺の場合はローカルの方。
で、どんな感じかというと、日本とはいろいろ違っているんだが、俺も日本での出産経験(?)がないのでそんなにはっきりしたことは言えない。


とりあえず、病院までバイクで1時間くらいかかるので、そんなにしょっちゅう病院にいくわけじゃなくて、生まれる月になってからも病院行ったのは2回かな。
12月1回、1月2回、確かその前に1,2回の合計5回くらいしか病院行ってない。日本では2週間に一回くらい行ってたり、母子手帳にのっとったプログラムを受けたりなんかいろいろあると思うけど、そういうのはこっちあんまりないよと。


で、出産の時は、陣痛始まったら病院にいく。
今回は嫁が夜中の12時くらいに陣痛っぽいのが始まって、本格的に行く事になったのは夜中の2時。病院着いたのは3時くらいかな。
家族や親戚、今回は嫁と俺含めて合計8人じゃないかと思うけど、病院に寝泊りする準備を万端にした上でぞろぞろ行って、いろいろ検査した後分娩台に乗れるまで(子供が10cm程下に下りてる必要があるらしい)病院に寝泊りして待機する。


この時のシステムがいろいろ面白いんだけど、基本5時〜7時30分頃まで何人でもいてよくて、その後10時30分までは母親ともう一人だけが病院内にいれる。
10時30分過ぎるとまたいてよくなって、その後何時までokなのかはあんまりわからないけど、今回は出産が21時に完了したこともあって、そのまま泊まる人もいた。俺は一回帰らされたけど。与えられる部屋はベッドが一つだけなので大体廊下で眠る事になるし、システム云々より疲労がたまる問題を気にしてたっぽいから、そのまま団体で泊まれたのかもしれん。


与えられる部屋は、まあうんうん言ってる妊婦さん達が詰まってる部屋の1つのベッドを与えられる。
今回は4人部屋(部屋といってもドアがないから、廊下の隅みたいな感じだけど)で、同室の一人はすでに出産を終えた状態で、残り二人はこちらが入った段階ですでに二日以上うんうんいってる状態の人たちだった。
あちこちで陣痛に苦しむ女性のうめき声が聞こえてくるので、なかなか強烈な体験だったっす。


ちなみに、産後は一日くらい病院に泊まって後は自宅でってのが普通。
結構母子共に危ない一週間の時間があるので、このあたりの期間は結構親戚総出でサポートする感じ。
多分昔の日本もそうだったんじゃないのという気もする。

出産時の状況というか心境

今回の出産は、俺にとってはとにかく今まで味わったことない経験をさせてもらった。


一番大きいのは、解決しなければならない問題があるのに、せいぜい祈るくらいしか出来ることがない事かな。


これほど人の心配をしたことは多分今までなかったんじゃないかと思うくらい心配した。
普段痛みに強い嫁があれ程痛がるというのは、相当な痛みなんだろうと。
子供がちゃんと生まれるかというより、嫁がちゃんと生めるのかというのと、そもそも嫁が痛がっているという事自体を心配した。


生まれてから子供のことは可愛くて仕方ないけど、正直2人目作るのは怖いなと。
出産の時の男はバカな顔して祈ってる事しか出来ないので、無力感半端じゃないっす。
多少こっちも痛ければまだマシなんだけど、何も出来ないというのがたまらん。


今はとにかく母子共に無事でよかったと思うけど、2人目も無事だという保証はないし、本当に出産はリスクが高いと思う。
自分で処理出来るリスクならともかく、人頼みのリスクはほんとに怖い。

出産とセックス

ちょっと下品な話だけど、出産時の女性の呻き声と、セックスの時の呻き声がそっくりだなと思った。


まあ基本は膣の辺りでうごめくものを処理するということで、似通うのもそうかもしれんけど、出産の時はもっと純粋に痛いって感じなのかと思ったら、セックスの時そっくり。
逆にセックスの時って本当は体的にものすごく痛いのを、脳内麻薬的なもので誤魔化しているだけなのかなとも。


人というか女性の体は変な作りしてやがるなぁと。
むしろ、あの苦しそうなものをあえぎ声として性的な信号に変換する男の脳も大概変なものな気がする。
なんであんな痛い思いしないといけないんだろうか。声が似通うなら、感覚も似通ってればいいのに。出産が快感な方が繁殖も進むんじゃないの。神様このシステム設計はいまいちなんじゃないのと。

産後の話

産後はとにかく子供が可愛くて仕方ないんだけど、なかなか触れる機会がない。
俺が抱いても泣き止む事はそんなにないから、見かねたお婆ちゃんやおばさんやお母さん達にすぐ取り上げられちゃうし。


また、基本新生児だからとにかく弱弱しくて、少し間違えたらすぐに死んでしまうような気がして俺自身も触る勇気がなかなか出ない。
ただそばにいないと不安で仕方ないから、とにかく何も出来ずともなるべく傍にいようとしているけど。
この辺の俺の役立たず感も我ながら情けないけど、出来ることはなるべくやろうと思ってるので、無関心よりはいいんじゃないかと強引に自分を納得させてる。


一週間過ぎたら、もう少し抱っこできると思うんだけどなぁ。。

赤ん坊を見て思うこと

ああ、人の子供というのは、まさに可能性なのだなと。
どういう人間に育つのか、今はまだよくわからないけど、そのまだよくわからない混沌とした状態のものが人の子供なのだと。


胎界主のレックスパパが心が震えるって言ってた事が、生まれた瞬間まではよくわからなかったけど、生まれて二日寝起きを共にしたらなんとなくわかった。
この子がどんな大人になるかはわからないけど、どういう大人になっていくのかは無限の可能性があって、その無限の可能性の中でどういう結果になるかを見届けたいと思う。


駄目人間になるかもしれないし、ものすごく優秀になるかもしれないし。
一年で日本語とベトナム語バイリンガルになっている可能性もあれば、大人になってからも日本語なんてぜんぜん話せないかもしれない。
コンピュータに興味示さないで着飾る事に熱心になっているかもしれないし、スイーツ追い掛け回したり麻薬に手を出したりもするかもしれないけど。


どんな結果になるにせよ、この可能性の芽を大事にしていきたいなと思う。
いつか子供が話せるようになったら、いろんなことを子供と話したいきたい。

まだまだ書きたいことはあるのだけれど

まだあまり整理がついていないし、とりあえずこのくらいで終わりにする。


整理がついていないけど、子供の誕生というのは俺の人生の中で明らかに新しい何かが出来た瞬間だった。
すごく新鮮で、愛しい体験をさせていただいている。


かなり新鮮な経験であったため、とりあえず1ヶ月は子供集中してもいいかなと。
多分jgame.jsとかも余裕見てやろうと思ったけど、その余裕は多分なさそう。
ただ1ヶ月後はね、人生子供だけにならないように、自分のこともちゃんとやっていきたい。