日本人

日本にいる時、主な仕事以外の仕事を私はそれなりにやっていた。
いわゆる掃除であるとか、引越しもどきであるとか、何かの準備であるとか。
こういった作業は、コンビニやら引越しやら、比較的多めの業種を経験してきた私の経験が生きるのか、多くのIT業界に生息する日本人に比べて、私の方がよく出来ていたように思う。
当時を振り返れば、なんで掃除も出来ないんだこいつ、などと同僚に苛立っていた事を思い出す。
普通に生活していれば当然するであろう作業を、出来ない人間が多かった。


ベトナムではそれが無い。
むしろ私の方が遥かに無能である。
掃除・洗濯・洗い物はもちろん、料理に片付け、パーティーの準備などなど。
さぼる人間がほとんどいない。ほとんどというのは、掃除嫌いが一人だけいるからなので、実質全員出来ると見ていい。
男も女もよく働く。皆、生活すれば当然知っているであろう事を知っている。


考えて見れば当然のことではある。
皆生活しているからだ。
生活しているから、生活の知恵を身に付けるのは当然の事だし、20数年生きていて掃除もろくに出来ない人間がいる方がおかしいだろう。
しかして、なぜ日本にはそういう人間が多いのだろう。
パソコン以外の仕事をやらせた途端無能になるのはなぜだろう。
雑巾持ってぼーっとしている人間が多いのはなぜだろう。
一体全体、これはどういうことだろうか。


何か、妙だなと。
特に日本の若い男を見ると思う事がある。
実家生活の人間に特に多い事から、多分日本の母ちゃん諸君が色々やりすぎなんだろうが。
20も過ぎて掃除も出来ない自分をおかしいとも思えない本人も、何か妙なものを持っているような気がする。
彼らを見ていると、得体の知れないおぞましさのようなものを感じる事がある。
別の種類の何かではないか、という感情が一番近い。


おそらく社会と教育と通念のようなものの差異が全てで、日本人はそれらの差異が個々で大きくなってきているという事なんだろう。
私もコンピュータ業界一筋で来て、ずっと実家で暮らしていたらそうなっていたのかもしれないし、別に掃除出来ない日本人は絶対悪であるというつもりはない。
ただ私の個人的な感情として掃除も出来ない人間が嫌いなので、ベトナムにいる時そういった苛立ちを感じる事が少なくて済むのは一つ嬉しい事ではある。
仕事以外の事を仕事中に教えるのはなかなか難しいから、後は仕事を教えていけばいいわけで。
もう一つ階段を上がることさえ出来れば、ベトナムに来てよかったと心から思えるような気がする。